人気部位台2位は

池袋である出版記念パーティーに招かれ、というか駆り出され2時間ほど過ごしてきた。後半は立食となり美味しそうな料理やめずらしい酒も並んだのであるが、どうもこういった場所が苦手なので食欲はなくなり実にもったいない時間となってしまう。おまけに世間話が苦手なので、かいわもぎこちない。初対面の方ばかりの中にいても居場所もなく気まずい思いでいなければならない。せっかく「人脈」を広げられるチャンスなのにろくに名刺も交換するわけでもない、料理以上にもったいない。

そんな会場でエステを経営されている女性としばらくお話をさせていただいた。エステの経営者、たいしたものである。余りというかまったく興味のない世界なので適当に相槌を打っていたのだが、男性脱毛についての話が面白かった。いまでは男性客も受け入れる脱毛サロンも増えているらしい。それだけ人気があるのだろう。ただ男の場合脱毛といえばやはりヒゲ、ぼくは薄く特に面倒ではないのだがここが濃い方は毎朝の処理も大変である。

また剃りあとの青々さを気にされる方も多い。僕はてっきりヒゲ脱毛の話と思っていたのだが、手足や胸など範囲は全身に及ぶのだそうです。ひと昔前は胸毛などワイルドな男の象徴としてカッコよく思われていたのでしょうが、今は不潔で気味の悪いものとして映るそうです。だからといって全身ツルツルがいいのかといえば、もちろんそこまではいきません。常識的な範囲での脱毛が好まれる、そしてこの常識とは多分「女性から見た目」のことでしょう。

やはりいつの時代になっても男は男、女性からよく思われたいのは変わりません、そして今の時代体毛はムダ毛に立場が変わってしまったのでしょう。僕はヒゲだけでなく手足や胸も体毛は薄いほうなので別に気になりません、などとも言ってはいられないのかもしれません。いくら薄いとはいえ、もじゃもじゃ生えていることには変わりません。しかし男性脱毛、その人気部位1位はヒゲです、では第2位はどこかわかりますか。興味のある方はこちらをどうぞ。

男がOライン脱毛をする理由

子供の頃誰から聞かされたのかは覚えてはいませんが、頭髪や体毛の濃い人もいれば薄い人もいます、しかし生えている毛の総量はみな同じである、といった話をしばらく信用していたことがありました。僕の場合ですと頭髪はいやになるほど硬く太く、まるでタワシです。柔らかく、なでつけるようにセットできる髪を持った方が、今でもうらやましく思っています。

だからなのでしょうか、ヒゲは薄く胸毛など目立った体毛はありません。大学に入ると銭湯生活が始まったのですが、それとなく観察すると立派な胸毛を蓄えておられる方の頭はやっぱり薄かったりしているわけです、まあたぶんたまたまなのでしょうが。そしてその男の体毛なのですが、特に胸毛など「ワイルドな男」の象徴のようなイメージがありました。

初代007のショーン・コネリーもたしか立派なやつの持ち主で役作りにも貢献していたのではないでしょうか。しかし、時代は変わりました。男性の体毛に対していいイメージを持つ女性は減少し、イヤな印象を持つ方が大幅に上回っているそうです。「不潔」といった清潔感のなさを覚えるといった方が多く、嫌いなムダ毛第1位は「鼻毛」なのだそうです。

鼻毛といえば「ちょろり」といったと思いますが「鼻毛通知代理サービス」を行ってくれるサイトがあるのですがまだ活躍されているのでしょうか。まあ鼻毛は気を抜くと手痛い思いをしなければなりませんが、比較的手入れは楽といえば楽です。ただ腕やスネなど処理に悩む男性の数は年々増加の一方、エステサロンなどを見ても男性呼び込みにけっこう力を入れているそうです。

そんな男性脱毛、ヒゲが面倒といった理由で脱毛に踏み切る方がやっぱり圧倒的に多いとのことです。いろいろなサイトを見てみるとお尻の毛を気にしている男が多いことも知りました、こちらは全身脱毛の部位となりますね。セットコースで身体の部位を3つとか5つ選ぶことが出来るとなると、この場所を加えられる方が非常に多いようです。業界用語では「Oライン脱毛」というそうなのですが人気の理由わかりますか、脱毛について詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

占い師になるためには

ちょっとした理由から占いについていろいろ調べてみました、するとこれがなかなか面白い。まず占い師さんの数の多さには驚きました、だいたいどの町にも「占いの館」の類があるものですね。

占いというとヒマそうに座っている易者のおじさんや、ハイカラな格好をして水晶玉に手をかざすちょっと怪しい雰囲気のお姉さんといったイメージしかなかったのですが。事務所というよりマンションの一室のようなところで、ひっそりと営業をされているといえばいいのでしょうか。

基本的には一対一の商売です、あまり商店街に大きな看板をだして「店舗」といった構えとは違うものなのでしょう。そういえばショッピングセンターの片隅に占いのブースがあったりしますね、でも鑑定中の姿はあまり見たことがありません。

だから占い師さんには「ヒマな姿」がどうしても浮かんできてしまいます。僕はこの通り占いの知識など皆無に等しいのですが、タロットカードには興味があり何組か持ってもいます。もちろん占いのためではなく、ただのコレクションとしてです。

たまに取り出して眺めてみたりする程度、しかし神秘的なカードは見飽きることがありません。そんなタロットの使い手もこの世界には当然多いのですが僕が意外だったのは、占い師になるためには資格が不要であるといったことです。

早い話やろうと思えば今日からでも、占い師の看板を掲げることだってできるわけです。だからではないのでしょうが詐欺師も活躍するのでしょう。あまり新聞などでは取り上げられませんが、占いをめぐる事件やトラブルだって発生しています。

しかしこういった事件を引き起こすのは占い師さんではなく、占い師をまねたペテン師が起こすこと、まじめに励んでいる方々にとっては本当に迷惑な話です。こういった輩が占いのイメージを「インチキ」なものにっしてしまうわけですから。

そんなことを考えながら資料をまとめているととても素敵な発見をしました、タロットカードです。ただのカードではなく、心斎橋の有名な先生が監修され解説書付きです。買ってもいいかなと思っています。

今度来るときには予約をしてから

僕は大阪には全く縁もなく過ごしてきたのですが、ここ10年くらいでしょうか、ちょくちょくでもないのですが梅田や難波のあたりをウロウロすることが多くなりました。僕は静岡県人なので大阪に向かうときは高速バスを利用します、静岡駅を7時30分に出て大阪駅に到着するのが午後1時頃、長旅といえばそうなのでしょうが利用するのはいつも平日、乗客はいいとこ10名くらい、社内は電車のような車内放送もなくそれは静か、高速道路なので信号待ちがなく、たんたんとペースも狂わず走る車内は快適そのもの。

しかも料金は新幹線の半額以下、大変重宝しております。ただ大阪へ行くとは言ってもセミナーや会合に顔を出すことが目的なので、街にたいする知識はありません、だいたいみんなとありふれた居酒屋さんで一杯やってからビジネスホテルに一泊し、翌日は新幹線で帰宅というパターンです。翌日は大阪駅地下街で昼食をとることが多く、よく歩くのですがなんせ広過ぎる地下街なので迷子になりそうです。

それでもよく向かうのは駅前ビルでしょうか、おいしそうなお店が多く本当にどこに入ろうか迷ってしまいます。まあこれがまた楽しいのですが。ぼくはやれグルメだのうまい店はここ、などといった情報番組や雑誌が嫌いです。別にどこでもいいのです、ただ混雑した店は嫌いなので早い時間に済ますことが多くなるのですが。そしてこのビルにはところどころ占いの館が怪しげに店を開いております、開店時間は午後からが多くようですね。

飲食店が営業を始める時間になってもシャッターが閉まっており、かえって気になったりするわけです。そしてこの館に一回でいいから入ってみたいのですが、どうもためらってしまいます。一回思い切ってこんにちは、と半分空いていた扉を開けて挨拶したら、なかにいたおばさんに「1時から」と言われ退散したことがありました。

3年ほど前飲み屋さんでホロスコープを使った占いを受け、びっくりするほど性格や好みなどを言い当てられて以来、占いに興味を持ったのです。別にここのビルだけではなく市内には本当にたくさんのお店が営業されているようです、また占い師さんも当たり前ですがホームページをお持ちです。(詳しくはこちら)今度来るときには、予約でもしておこうかと思います。

生田神社

三宮のホテルに一泊しました。とても洒落たホテルで室内も広くとても余裕があるのですがなぜか浴槽がありません。左右側面からもまんべんなくここちよいお湯が吹き付けられるのですがやっぱり物足りません。やっぱりどんなに狭くてもお湯を張った湯船に漬かりたいものです。

翌朝、天気も良くあとは帰宅するだけ、何の予定もないのでのんびりまた。シャワーを浴び9時過ぎに朝食のため指定された1階にあるイタリアンレストランに行ってみました、時間が時間だけに空いているだろうと思ったのですが客席は半数ほど埋まっています。

ホテルの朝食といえばここもそうでバイキングです、しかし僕はこの形式が大嫌いなのですが仕方ありまません。そしてお盆とお皿を用意して何を食べようかと並んだ料理を見てみると、それはもう無残なものでした。それぞれの大皿は見事に取りつくさてまさに残飯だけがむなしくこびりついています。

朝食は10時までですからもちろんもう追加はないでしょう。笑いものになったようでした。チェックアウト後は街中を歩いてみました、すると神社が現れました、生田神社ですね。とても由緒のある神社らしいのですが僕にはそんな知識もありませんでした。

旅は好きですがいつもアテがないことが多いので時間が余って仕方がありません、そんな時に格好の場所が神社仏閣です。何度もいいますが僕には全然興味もない世界なので、ハッキリ言って退屈な時間を過ごすことには変わりなないのですが現場到着、一安心できるだけにとてもありがたいわけです。

最近でもないのでしょうがパワースポットといわれる場所が日本全土にわたり紹介されています。とりあえず神社らしき姿をしていれば何でもかんでもスポットになるのでしょうか、そんな印象もあるのですが。

ただこの神社ですが、何年か前誰かがテレビで言っていましたが、ここ日本ではコンビニの軒数より神社の社数のほうが多いとのことでした。意外なようでもあり、もっともな話でもあります。

またコンビニほどではありませんが占いの館、どの町に行っても意外とその看板が目につきます、特にここ神戸は元町方面に足を延ばせば盛んです(詳しくはこちらを参照)。神社になど興味はないにも関わらずおみくじにはなぜか気になったりするのが不思議です。

いちど、など占い師さんに運命を見てもらうのも悪くはないのでは、とも思っています。

犬用サプリメントではないですか

どうも肩こりが気になるので何か良いサプリメントでもないか探していたところ筋肉や軟骨にまで働きかけてくれるといった、なかなか効きそうなものを見つけたのですが、よくみると「犬用」、そう愛犬用のサプリメントではないですか、これには笑いました。

ぼくはペットなど飼ってはおらず興味もありませんのでこの世界のことはまったくわかりませんが、ドックフードだけではなく、今ではこんなサプリメントまであるとは知りませんでした。たしかに犬とはいっても同じ動物なので関節が痛くなったりはするのでしょう、しかしメタボ対策や生活習慣病に備えて開発されました、などといったコピーを見ると考えさせられてしまいます。

犬たちもいまや内臓脂肪が気になる世の中なのですね。もちろん変えたのは犬ではありません、飼い主である人間様のおかげでしょうか。ペットにも「老後」があるのです、痴呆、徘徊、介護する時代なのです。むかしは犬は庭の小屋で飼うものでした、名前もポチ、ネコだったらタマといった「動物名」でありましたが、いまではカタカナの芸名のようなハイカラな名前をよく耳にします。

ぼくが子供の頃は「野良犬」が近所をウロウロしていたことをまだ覚えています、うかつに近づいたりするとガブリと噛みつかれる危険もありました、犬は怖い生き物だったんです。今は野良犬なんて言葉も使われることもなくなりました、むしろ町中を犬が歩いていたら「保護」されてしまうでしょう。

このままあと何十年かしたら犬の野生さも失われていくというか、生態系と言ったらよいのか人間様にとって都合の良い仕様に変わってしまうのではないでしょうか。僕はネコが大好きです、首輪をされたネコをみてなんて残酷なことを、などと思ってはいたものの、今でも気持ちは変わりませんが、そんな首輪も当たり前のようになっています。

僕は犬やネコと話などできませんので彼らの本音はわかりません、いまさら野生で暮らせるような環境はこの日本の中にはありません、生きるためには飼われなければならないといった現実をどう考えているのでしょうか。

動物と人間との関係でベストだと思うのは雀さんでしょう。お互い身近で生活を営みながら干渉しあうこともありません、好きでもなければ嫌いでもない関係、同じ鳥でもこれがカラスやハトになると勝手が違ってきますね。ふと空を見上げるとき、雀さんの姿が目に入ると心がとてもなごみます。

二つの訃報に接して

午後、本屋さんで立ち読みした雑誌でアラン・ホールズワースさんが亡くなったことを知りました。享年70歳だったそうですね、本当に残念です。ギターを手にする人間ならその名前や風貌くらいは知っているはずです。しかし僕自身彼の曲はほとんど聞いたことがありません、でも若かったころよく読んだギター雑誌にはよく登場、というかその技巧ぶりが取り上げられていました。

「手がバカでかくてハンマリングとプリングで弾き通す凄腕ギタリスト」彼のフレーズをこんな風に僕は捉えていたと思います。レガートを駆使されている、といえばいいのでしょうか、ギターというよりは管楽器を思い起こさせるようなサスティンの効いた音色が印象的でした。ただし当時、80年代初めのころの話です、当時の僕には彼の音楽は「難解」だったのだと思います。

そしてこんなふうに昔はよかった~などと言い調子になっている時便利なのがYouTubeです、これは本当にありがたく僕にとってはなくてはならないものなのですが、「便利すぎる」のです。これはもう贅沢の極みですね、あっけなさすぎるのです。むしろわからないまま、発見できぬまま放っておいてもらいたい思い出だってあるのです。

夜になって酒を飲んでいると今度は日下武史さんの訃報を目にしました、静養先のスペインでお亡くなりになったとか、これまた悲しいですね、お悔やみ申し上げます。僕は大崎駅近所の会社に勤めていたのですが、定時で退社すれば浜松町から歩いて向かう自由劇場の18時30分からの開演に間に合ったこともあり四季の舞台を好んで観ていました。

もう何年前でしょうか石丸幹二さんが退団されたころの話です。日下さんというと「鹿鳴館」の影山伯爵役が僕にとっての氏の姿です。今思うことはこういった素晴らしい方と時代を共にできた、といった喜びとしか言いようがありません。また「死」によってその功績が見直されることに対して文句はありませんが、極端な話現役を退かれ「生きている今」だからこそ、もっと多くのスターたちに感謝やスポットを当たる機会もあっていいのでは、などと思ったりしました。

しかし人は死ぬわけです、2017年を占う!などと年の瀬になったりすると政治や社会などの動向が予測されたりするわけですが「今年死にそうな有名人」などは多分取り上げられることはないでしょう、不謹慎なのでしょうがこういった話題で飲むとけっこう場が盛り上がったりするものです。

それから「占い」ですね、寿命を占ってもらいたくはありませんが金運や仕事運など見てもらうのも悪くはありません、思わぬヒントを得られたりします。占いは意外なほど身近なものです。気分転換にいかがですか。

路地裏の占い師さん

もう一度会いたい人、食べたいもの、訪ねたい場所・・・、こういったものは誰にあるはずです。そんな中でも詳しい場所や名前など肝心な記憶がポッカリ抜けてしまい、再訪も再会も望めないような思い出がありませんか。

せめてキーワードになるような断片的なものでよい、無性に探し出したくなったりして記憶をほじくり出してみたり、資料があればひっくり返してみたりしたりする、そんな「未解決事件」のような案件が僕にも何件かあるのです。

たとえば博多で訪ねた占い師さんにぜひもう一度お会いしたい、どうしてもお会いしたいわけでもないのですが、せめてお名前や場所だけでも確認したいのですが、どうしてもわかりません。

8年ほど前の話ですその日の朝、僕はカメラを紛失していることに気が付きました、昨夜もカメラをもって外出しパチパチ撮影していたのでどこかで落としてしまったのでしょう。お酒もだいぶ入っていたことでしたし、この地を訪れたのも生まれて初めてでしたので前夜の記憶など、ところどころ夢の中の光景に近いものでした。

フロントに相談するとすぐに落とし物センターのようなところに電話をつないでいただけたのですが、僕は昨夜どこにいて、どこを歩いてどうやってホテルに帰ったのかも説明が出来ませんでした、僕は諦めることにしました。

小さなキャノンのデジカメでした、購入して5~6年くらいでしょうか、どこに行くにも持参した愛着のあるものです、そんなカメラを失っただけでなく、収められたデーターまで失ってしまったことは、まるで思い出まで消されてしまったようでそれは辛いものでした。

博多を離れたのはその日の午後でしたが繁華街で昼食を済ませたしばらく歩いているうちに、路地裏に「占」と書かれた看板に目がとまりました。「占ってもらおうか」ぼくは勇気を出して2階にあったそのお店を訪ねたのです、中に入ると、どこにでもいそうなおばさんが座っておりました。

ぼくは予約もせず突然訪問したことを詫び、旅で訪れたこの地でカメラをなくしてしまったこと、どこをどうほっつき歩いていたのか全然記憶はないこと、愛着のあるカメラなのでぜひ探し出したいのであるが、どうすればよいのかを教えてほしい、僕は静岡県の人間なのでこの地を訪れることはこの先何かもしれない、こんなことを話しました。

おばさん、いや鑑定士様は僕に生年月日や生まれた時間などをお聞きになるのですが、自分の生まれた時間などわかりません。その後面接試験のように何件かの質問を終えるとパソコンにカタカタなにやら入力しプリントされた紙を眺めながらこう言われました。

「心配しなくてもカメラは手元に無事戻ってきます」「この先一週間は問い合わせなど行わずじっとしていなさい」「一週間たったらなにかひらめくはずで素直にそれに従えばよい」とのことでした。

わかったような、わからないような話ですが妙な安心感に満たされました。そしてそれからちょうど一週間後、仕事中でありましたが「博多警察署」に聞いてみよう、とたしかにひらめいたのです。

ダメモトで電話するとなんとタクシーの運転手さんより届けられていました。宅配便で送ってもらい2日後にぶじ手元に戻ってきたわけですが、その占い師さんの名前とか、場所がいくら探してもわからないのです。

ちょうど先ほども急にこのことが浮かんできて福岡市の占い案内などを見たのですがやっぱりわかりません。こうなったらもう一度あの場所に戻り自分の目で確かめてみるしかないような気もします。

読書について

昨日市立図書館へ行き4冊ほど本を借りてきました、もちろんタダです。一度に6冊(だったと思います)まで、二週間も借りることが出来るのです、こんな便利なサービスを僕は今まで利用したことはありませんでした。だいたい図書館自体に全くと言っていいほど縁がない生活をしてきたのです。

本は所有して気に入ったら何度も読み返すものといった考えがあったのだと思います。自宅近所には3軒の図書館がありますが一番近くにある図書館には徒歩で10分とありがたいのですがここは「分室」なので蔵書量も少ないのですが週刊誌などを暇つぶしに眺め回すにはちょうどよく、またほかの2軒で借りた本もここで返却ができるのでこれまたべんりです。

平日の午後などに訪れると来館者はまずいません、放課後の学校の図書室のような妙な懐かしさがある場所です。そして本と言えば先日「速読」に関する面白い記事を目にしました、読みたい本が山積みになっているあなたにおすすめです、などと書いてあったので読んでみると「速読のコツ」が紹介されているのでした。そしてそのコツとは「少なく読んで早く読む」、ようするに一冊の本のなかから使えそうなビッグアイディアをひとつ探し出す、そしてそこだけをキッチリ理解するだけでよしとする。こんな方法なんです。

では残りの99はどうするのか、「捨てる」のだそうです。一冊の本から100を学ぶことはできません、10日もすれば全部忘れていることでしょう、だから最初に狙いを絞って1~2個のみの情報を覚えこませるのだそうです。もちろんこれは「ビジネス書」においての読書法です、小説でこんな読み方ができるわけがありません。こんな読書法もあるのですね、しかしどう思います?さらにこんなこともかいてありました、学習において楽しく有意義な時間を過ごすことは不要である、得た情報を忘れずに維持し続け実践することが必要なのだと。

全部読んで満足したりわかったような気なっても、それを理解して自分の人生に応用しなければ意味のないことであるといいたいのでしょう。1000冊を読破することよりも数十冊で得た知識で成果を出すことのほうが大事なことなのです。こう言われてみるとわかるような気がします、成功のための読書なのですね、情けないたとえですが「エクセル入門」を読むようなものでしょうか。計算式の入力法だけでもいい、日常業務で使いこなせる技を一つだけでも習得し実際に応用できれば表現の幅も広がり作成した資料にも磨きがかかるのでしょう。

「欲張ってはいけません」その通りなのかもしれません、そのためにも「今何が必要なのか」を明確にしてから書物に向かったほうがよさそうです。何かあるかな~ではダメかもしれませんね。